STAND BY YOU

辞去

青少年指導員の委嘱を受け20年となり、いつの間にか指導員会内では後期高齢者になってしまいました。

実は、退会にあたり広報部長にコラムを書くと啖呵を切ってみたものの何を書いていいか思いつかず。コロナやマスクの話題は、誰かが、どこかで書いたものを目にするし、敢えて書くこともないかと。そこで 青少年指導員を辞めたくなった時があった話を。

平成15年4月の委嘱から初めて参加した行事は、千里北公園で毎年5月に行われていた「こども野外カーニバル」でした。自地区は、10人の指導員がいる地区で、当然 地区全員が参加するものと思い、当日会場へ行くと地区の指導員は誰も来ず、話し相手もない中、支給された弁当を食べながら「新人が一人って、どうなってんの 騙された」と。

入会して数年は、部会を1年で代わったこともあり、今となっては所属部会すらはっきりと覚えていませんが、会議出席者があまりにも少なく、急に声を荒げ、怒り出す人がいて途端に雰囲気が悪くなり、何が何だか分からず「恐ろしいとこに来てしまった」と。

長年にわたり所属した広報宣伝部に入った頃、広報紙の作成に夜11時まで編集作業をし「とんでもない部会や」と思ったことも、文才もない自分が考え抜いて書いたコラムに思いっ切りダメ出しされ「広報なんか絶対辞めてやる」と決めたことも。

よく覚えていない「幻の退会届提出」は、まだまだあったと思います。当時はすぐにでも辞めるつもりが、いつの間にかここまで来ていました。振り返ってみても、指導員活動を7人の会長さんのもとで続けてこれたのは、文字にし難い楽しい話や、面白い話と共に他地区の指導員の方とも知り合いになれて「ボランティアなので出来る範囲で」活動してきたことが良かったのかも知れません。

それに、青少年指導員在任中に亡くなった父親よりも長く努められたことも・・・

いよいよ3月、卒業の季節になりました。4月からは、山田に行く機会もなくなり、今後は、青少年指導員の活動を応援するという立場となります。指導員の皆さん、辞める、辞めると言ってここまで居座った者もいたのですから、子供たちの為に永く活躍してもらえることを願っています。

この20年やはり「思えば いと疾し この年月」の様だった気がしますし、思い残すことなく 最後に「ながれぼし」になれました。☆彡

コラム by 【 Bouzu 】